募集終了2021.03.25

木材建材というフィールドを足がかりに。与謝野町で暮らす人の夢をサポートする

住宅や公共施設、店舗、いろんな建物が建ち、そこで暮らしを営む人たち……。この当たり前の風景を、“つくる”人たちがいます。設計士や工務店、そして今回ご紹介する高岡建材のように、建物をつくるために必要な材料を提供してくれる人たちです。

まちの中にある建物は、誰かの「やりたい」という夢が具現化したもの。代表取締役の高岡洋輔さんは、「チャレンジやイノベーションを建築で応援したい」と強い信念を持っています。

今回募集するのは、営業職。工務店や大工さんから建材を受発注し、工期に合わせて納品するのが主な仕事です。いわば、高岡建材の窓口。建築において様々な方向からサポートすることで、まちや人の暮らしに関われるため、これまで建築業界に関わったことがない人でも、わくわくできる仕事だと思います。

建材を足がかりに、仕事のフィールドを広げていく

お話を聞きに伺ったのは、京都府北部に位置する与謝野町。高岡建材は、この町で1927年に創業しました。当時は、丹後大震災という大きな地震が起こり、復興の真っ最中。家を建てるのに必要な材木を扱う、製材所としてのスタートでした。その後、高岡さんのお父さんが二代目となる直前に、若くして亡くなってしまったため、高岡さんの祖母がその後を引き継ぎました。

高岡建材の事務所

建築業界で女性経営者は珍しく、周囲からの目も大変厳しいものだったそう。それでも高岡さんが代表に就任する2002年まで、高岡建材を引っ張ってくれました。

「家業を継ぐ気はまったくなかった」と話す高岡さん。当時は与謝野町に対しては、「何もない」、「田舎から出たい」という思いが強かったそうです。高校卒業後は関西の大学へ通い、そのまま大阪の不動産会社へに就職します。しかし、不景気のあおりを受け、1年ほどで関西支店が閉鎖。いったん、与謝野へ戻ることになりました。

「家業がどんなことをやっているのかほとんど知らなかったので、正直なところ、『しばらく手伝おうかな』ぐらいの気持ちでした。不動産や建築に関連する仕事は好きだし、とりあえずやってみることにしました」

気軽な気持ちで高岡建材で仕事をはじめましたが、配送や営業として仕事に携わるうちに、この仕事の面白さに気づいていったそう。

「設計事務所、建設会社、工務店、私たちと色んな人の知恵や努力によって、建物が形になる。そのプロジェクトに自分も関われるのは、すごく楽しいと思ったんです。とくに建材屋は、色んな家や建物に関われますから」

宮津市にある暁星高校で使用した木材は、すべて高岡建材が提供するなど、このエリアでは製材所も少ないため、公共施設の建設等多くのプロジェクトに関わることも。

建築に関わる人達とゼロから仕事を生み出す。高岡さんは、建材の仕事の面白さにどんどんとはまっていきます。そして里帰りした3年後、代表に就任。独自のアイデアで建材屋の仕事の幅を広げるための取り組みをはじめます。

顧客ニーズを知るために施主と工務店との打ち合わせに同席したり、キッチンなどの水回りやカーポートなどを自社で施工できるように職人に働きかけたり。建材会社の土壌を活かしながら、業務の幅を少しづつ広げていきました。また、高岡さん自らが不動産を扱う免許を取得し、不動産業にも着手。土地や家を探している人とつながることで、自社が多くの仕事に関われるような流れをつくりました。

一棟貸しの宿「三上勘兵衛本店」のパンフレット

「BtoBの工事のみが増えていくと、工期や予算管理などの管理業務が増えます。そうすると、業務が事務的になってしまい、しんどさが増します。不動産から関わることができれば、エンドユーザーの細かいニーズにも対応することができ、工務店様にもお客様にも喜んでもらうことができる。そんなやりがいを感じられる仕事の仕方を常に模索しています」

ほかにも、まちに増えた空き家を活用したいと・文化財旧三上家住宅の離れをリノベーション。長年手入れされていなかった建物に宿としての役割を与え、まちの歴史や文化を後世に伝える場所として生まれ変わらせました。

「まちの大切な歴史的資産をなるべく残していきたいと考えています。けれど、維持管理していくためには資金が必要です。そのために今回は、建物に一番適したリノベーションを行い、宿としました。あくまで得意とする不動産建築分野で、地域と会社に還元できることを取り組んでいます」

一棟貸しの宿「三上勘兵衛本店」

最初は、高岡さんの取り組みにあまり関心がないスタッフも多かったそうですが、コツコツと長年に渡り取り組むことで、収益化できるように。社内でも少しずつ、協力してくれるスタッフも増えてきたそうです。

「たくさんの人が関わって、建物は建ちます。うちはそこに建築資材を提供するだけでなく、商品を企画、提案して仕事につなげていくことをどんどんやっていきたい。自分のアイデア次第でいかようにも関われるので、やりがいがある仕事だと思いますよ」

建材の知識を司る営業の仕事

高岡建材には、営業が3名、事務所スタッフが4名、加工や取り付けなどを行う職人が4名、木材の製材が1名、配送が2名の計14名が働いています。ここからはそれぞれの仕事について、お話を伺います。

1人目は営業を担当する小西寛人さん。もともとは配送担当だったそうですが、営業が一人抜けたタイミングで、社長に「営業をやってみないか」と声をかけられたそう。

右が小西さん。

「はじめは、営業に対して苦手意識があったんです。でも、うちはノルマがあるような仕事のスタイルではないので、自分でもつづけられるかなと思って引き受けました」

お客様は、大工や工務店が9割。大工から発注を受けた建材を注文し、現場の進捗に合わせて運び込めるようにスケジュール管理することが主な仕事です。時には現場に出向いて、進行具合をチェック。以前は配送担当だったので、確認のついでに建材を届けることもあります。

職人の黒田さんとコミュニケーションをとりながら、現場に納品するスケジュールを調整します。

「手が一杯で現場に行けないときは、電話で各現場の進行を確認します。各現場の進捗具合を把握して、前もって動くことも大切です」

大工から建材について、相談されることもしばしば。流行り廃りによってデザインが変わったり、機能性がアップするなど、時代によって変化するため、カタログを見て勉強することも。最近はこだわりを持って家や店舗を建てる人も多いことから、どんどん知識が増えていくそうです。

周りからは「真面目やな」と言われると話す小西さん。一週間以内に必ず返答する、時間は守ると自らルールを定め、仕事に取り組んでいます。

「お客さんとの信頼関係、コミュニケーションがとても大切な仕事ですから」。

一つとして同じ建物はないからこそ、手は抜けない。この仕事、営業というより建材の知識を司る「職人」なのかもしれません。

長きに渡り会社を見守る

同じフロアでは、営業の他にも事務職のスタッフが働いています。その中の一人、錦織ひとみさんは勤続19年目。以前は京都市内で働いていましたが、与謝野町にUターン。先代の頃に高岡建材に就職し、今に至ります。

主な仕事は注文に沿って請求書を作成したり、営業が集金してきたお金や、振り込みなどを確認する、経理を中心とした事務を担当しています。

先代の頃から勤める錦織さんは、19年で会社も「少しづつ変化してきた」といいます。

「取引先がこの周辺のエリアだけでなく、大阪や都市部にまで広がってきました。社長は小学生から年配の方までいろんな人と対話ができる人です。だからこそ、人とのつながりで事業が広がっていくんだなと感心しています」

「私はまだまだ、変化についていけてない」と言う錦織さん。しかし、会社の変化を見守りながら、変わらぬ仕事をしつづけてくれる人がいるからこそ、会社は成り立っていくんだと感じました。

地図に残る、建材のものづくり

営業が打ち合わせしてきた内容に沿って、商品を組み上げるのは、職人の黒田英之さん。黒田さんも大学入学を機に与謝野を出ましたが、20年ほど前にUターン。せっかく戻ってくるなら、ものづくりの仕事に就きたいと思ったそうで、たくさんあるものづくりの中で、建材をつくる職人を選びました。なぜ、この仕事を選んだのでしょうか。

「建物に関わるということは、自分の仕事が地図に残るんです。子どもに『これはお父さんが作って入れた窓だよ』と、見せることもできます。規模も大きいので、でき上がったときの喜びも大きく、やりがいがあります」

商品を組み上げ、現場に納品するまでが黒田さんの仕事。一番大きいもので言えば車庫やベランダです。サイズが大きいものは、現場に出向いて取り付けたり、その場で作ったりすることもあるそう。

「以前からフェンスやベランダなどの、住宅の外回りの部分も取り扱ってはいたのですが、大型のものは扱えなくて。そこでクレーンの免許とらせてもらいました。免許をとることで、これまでよりも大型のものをとり扱えるようになったんです」

以前は取り付けや組み立てが主な仕事でしたが、免許を取得したことにより、大型のフェンスやベランダ、カーポートなどの施工も行えるようになりました。それに伴い、会社で扱う案件も増えていったそう。黒田さんは高岡さんが中心になって取り組む、文化財や空き家の改修も担っています。

「社長とは地元が同じで年も近い。だからこそ、与謝野の町へも思いも理解ができます。一度は出ていったけど、戻ってきた故郷だからこそ、これからの子どもたちが住みやすい、ほかの地域の人にとっても住んでみたい、働いてみたい思える町にしたい。そんな町に住めたら、自分も楽しいですしね」

町の発展に自分も少しでも力になれたら、と言う黒田さん。近年は町内で行われているイベントにも、積極的に参加。どんな人が集まり、どんなイベントが行われているのかを知るために参加しています。

「最近は若い方が中心となって、町を盛り上げるためのイベントを開いてくれています。そういった場に足を運ぶと、自分の仕事のヒントになることを見つけることもできます。自分の技術の幅が広がれば、会社で扱える案件も増えますから。社長から提案いただくことも、自分で習得したいと思ったことにも、貪欲に挑戦していきたいですね」

宿の仕事を通じて、まちの魅力に気づく

営業が用意した注文伝票を確認し、建材を工事現場に届けるのは、配送の米澤賢二さん。建材の配送と、宿「三上勘兵衛本店」の清掃を担当しています。以前は塗装業で働いていた米澤さん。同じ建築業なら働きやすいのではと考え、高岡建材に入社。もうすぐ2年目を迎えます。

配送の仕事は、注文伝票を確認し、たくさんの建材や木材を準備することから。かなり重たい建材も配送することもあるため、体力勝負です。木材には多くの種類があるため、覚えるのが大変だったそう。それらを配送するまでが米澤さんの仕事です。

宿泊者からは、とても過ごしやすいと高評価。大手宿泊サイトの「Traveller Review Awards 2021」を受賞

その傍ら、宿の予約に応じて、清掃業務のサポートも行っています。「配送と清掃、まったく異なる仕事を受け持つのは、大変では?」と尋ねると、「もともときれい好きなんですよ」と米澤さん。

「宿の管理については、社長から学びながら仕事をするいい機会です。社長の言葉にヒントを得て、自分なりに試行錯誤しています。一緒に仕事をする機会は、とても勉強になるんです」

また、宿の清掃を通じて「こんなの古い建物がまちにあったんだ」とはじめて知ることができたそう。「これまでに経験がないことも、どんどんチャレンジしていきたい」と言う米澤さん。仕事を通じて、自分の町に関心を持てるって、素敵なことですよね。

建築を通じて、まちに財産を増やす

ここまで高岡建材の仕事をご紹介してきましたが、高岡さん自身は本業以外にも、一般社団法人 PLACEの代表理事を務めるなど、「人づくり」「場づくり」を通じて、与謝野町をさらに魅力あふれるまちにするための活動を行っています。

PLACEの拠点は、醤油倉庫をリノベーションした「nest」

PLACEの活動の一環で、行政より委託運営してきた「よさの未来大学」。講師を招き、地産地食や空き家活用など、地域の未来を描くために必要な情報を学べる授業を行ってきました。ほかにも与謝野町をフィールドにして、「ごろ寝でシネマ」や「BEER FEST 」などの人の出会いと交流を生み出すイベントを展開しています。

「人が集える場所をつくることで、町に活気が生まれる。挑戦したい人に場所を貸すことで、チャレンジしたい人の夢がサポートできる。地域の活動も、得意とする本業の建築分野で関わっていきたいと考えています」

ほかにも高岡建材のショールームを、与謝野町のホップを使ったクラフトビール事業などを行う「ローカルフラッグ」や、子ども達の通う学習塾に貸し出すなど、「町の未来につながる取り組みを、積極的に建築不動産分野でサポートしたい」と高岡さんは話します。

「空き家の活用のため、PLACEの拠点は、元醤油倉庫をリノベーションしています。また、京都産の木材を使って建築をおこなう『ウッドマイレージ』に取り組み、木材の地産地消も進めていきたいですね」

あくまで本業は、建築・不動産の分野。その上で、「そこから、まだまだやれることがある」と高岡さん。まちづくり、宿、学びの場と手がける仕事は多岐にわたりますが、決して本筋が変わることはありません。

「僕たちの仕事は、誰かの『こうしたい』という夢を建築でサポートする仕事です。この先も、空き家などを利用してもっと面白い仕掛けをしていきます。好奇心がある人は、ぜひ一緒にやりましょう!」

読んでいるうちに、なんだかワクワクしている自分に気づいた方。高岡さんと一緒に、与謝野町で働いてみませんか。建物を通して、まちや人の夢をサポートする。あなたの熱意が、誰かの夢を叶えるきっかけとなるかもしれません。

※本記事はBeyond Career事業にて受注・掲載した求人記事となります。Beyond Careerについてはこちら

執筆:ミカミ ユカリ
撮影:稲本 真也

募集終了

オススメの記事

記事一覧へ